第1章 竹生島の歴史と信仰

   「竹生島縁起」によると、浅井直馬養(あざいのあたいのうまかい)が、本尊となる金色の千手観音像を奉納したと伝わります。 この千手観音像は、貞永元年(1233)の火災により失われたとみられ、現在の本尊は鎌倉時代末頃の造像とされます。その後、竹生島は西国三十三所観音霊場の三十番札所となり、多くの巡礼者がこの島を訪れるようになりました。
 また、平安時代には、水辺に住むといわれる弁才天の信仰が島にもたらされ、竹生島は、日本三弁才天として信仰を集めました。
 
 竹生島縁起 1巻 紙本墨書 室町時代(15世紀) 竹生島宝厳寺蔵
竹生島縁起 1巻 紙本墨書 室町時代(15世紀) 竹生島宝厳寺蔵

 竹生島の由来を記した縁起。浅井姫命が湖中に沈んだ際に、「都布都布」という音がしたため「都布夫嶋」と呼ばれ、最初に竹が生えたことから「竹生島」と名付けたこと、海龍が大鯰に変化し島を周回し竹生島の大神となったという伝承をはじめ、興味深い内容が記されている。能の「竹生島」もこの縁起を基に作られた。
 

 弁才天像 1幅 絹本著色 室町時代(16世紀) 真蔵院蔵
弁才天像 1幅 絹本著色 室町時代(16世紀) 真蔵院蔵

 竹生島宝厳寺の末寺・真蔵院(長浜市西浅井町菅浦)に伝わった弁才天の絵像。頭上には、頭が翁で蛇の体を持つ 宇賀神(うがじん)が表されている。
 

 第2章 戦国武将も訪れた聖地・竹生島

  中世における竹生島は、天皇家や室町将軍家の祈願寺となり隆盛を誇りました。「竹生島文書」には、浅井長政(1545-73)や長政と同盟を結んだ朝倉義景(1533-73)、そして浅井・朝倉軍と争った織田信長ら戦国武将が竹生島に宛てた書状が伝わっています。さらに、浅井氏滅亡後、この地域を支配した羽柴秀吉(1537-98)は、長年にわたり竹生島を保護しました。
 
 
 ◎足利尊氏地頭職寄進状 1幅 紙本墨書 貞和元年(1345)11月12日 竹生島宝厳寺蔵
◎足利尊氏地頭職寄進状 1幅
 紙本墨書 貞和元年(1345)11月12日 竹生島宝厳寺蔵

 室町幕府を開いた足利尊氏(1305-58)が、竹生島に浅井郡錦織東郷(長浜市錦織町付近)の地頭職(その土地から収入を得る権利)を与えた文書。尊氏は、幕府の安泰を祈願し、竹生島へ寄進したと推測される。

 
 
 後期展示 ◎浅井長政書状 竹生嶋年行事御坊中宛 1通
         紙本墨書 (永禄9年⦅1566⦆)11月27日 竹生島宝厳寺蔵
◎浅井長政書状 竹生嶋年行事御坊中宛 1通
 紙本墨書 (永禄9年⦅1566⦆)11月27日 竹生島宝厳寺蔵

 浅井長政が、竹生島の僧侶代表に宛てた書状。長政は、家督を継いだ後、領内に借金返済を免除する徳政を出すが、父・久政(1525-73)に倣い、竹生島を徳政から除外している。

 第3章 江戸時代の参拝ブームと竹生島蓮華会

  「竹生島文書」の近世史料からは、江戸時代における竹生島信仰の様子をうかがうことができます。江戸時代の竹生島には、茶店が立ち並び、巡礼者を迎え、京都や江戸では出開帳が行われ、遠方の人々も竹生島の本尊に参拝することができました。
 また、現在も続く竹生島蓮華会(れんげえ)は、竹生島信仰の歴史を知る上で重要な行事です。蓮華会は、五穀豊穣、天下泰平を祈り、弁才天を荘厳する法要で、浅井氏をはじめ地元の人々が、頭役(とうやく・その年の世話人)を務めました。竹生島蓮華会は、地元の人々と竹生島との繋がりを示す、湖北を代表する行事といえます。
 
 
 江戸表御開帳ニ付乍序当寺江請侍仕ニ付一札 1通 紙本墨書 明和4年(1767) 竹生島宝厳寺蔵
江戸表御開帳ニ付乍序当寺江請侍仕ニ付一札 1通
紙本墨書 明和4年(1767) 竹生島宝厳寺蔵

 竹生島は、江戸時代、堂宇修復などを目的に、江戸や京都、大坂をはじめ各地で宝物を公開する出開帳を行った。この史料は、明和4年3月から6月にかけ江戸で行われた出開帳の時のもので、寿徳寺が出開帳の請来を依頼し、竹生島との間で、賽銭や奉納物の受納などの取り決めが記されている。
 

 第4章 エピローグ 描かれた竹生島

 古代から現在に至るまで多くの人々を惹き付け、信仰されてきた竹生島は、景勝地としても人気を集め、江戸時代の絵師や近代の画家たちは自らの作品に琵琶湖に浮かぶその姿を収めました。ここでは、絵画の中に描かれた竹生島を通して、人々を魅了した聖地・竹生島を紹介します。
 
 
 竹生島図 杉本哲郎筆 1幅 絹本著色 昭和時代 当館蔵
竹生島図 杉本哲郎筆 1幅 絹本著色 昭和時代 当館蔵

 大正~昭和時代に活躍した日本画家・杉本哲郎(すぎもとてつろう・1899-1985)が描いた竹生島の風景。哲郎は、様々な宗教を題材にした絵画で高く評価された。古代から信仰されてきた竹生島にも感銘を受けたものと想像される。

 
 
 
 
CLOSE